2024(12/14)
高輪ゲートウェイ駅付近の開発と高輪築堤
記事公開から5日前、12月8日と9日に2日間限定で日本で初めての鉄道の遺構である高輪築堤が公開されていたので見に行ってみました。
普段は通勤電車の車内ばかりカシャカシャやっている私ですが、たまにはということで山手線に乗り、高輪ゲートウェイ駅で降ります。
まず駅の改札を出ると、目の前に現れた建築中の巨大な建物にびっくり!これは圧巻、ガラス張りの建物がまぶしいです。
それはいいとして・・・高輪地区では開発により高輪ゲートウェイ駅の周辺あちこちから、当時の遺構が発掘されています。
再開発地域は田町側から品川側にかけて1街区~6街区に分けられていますが、品川寄りの5・6街区も遺構が9か所掘られており(トレンチ、と言うらしい)、 今回公開されたのもそのうちの一つです。なお、当時の橋梁など、遺構の一部は保存されるものの、今回公開されたトレンチは公開終了後に埋め戻されてしまうそうです。
当記事では実際に見に行った築堤の様子を、高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発の進捗状況とともにお伝えします。
では早速写真を大量に載せて、様子をレポートしていきます。築堤での写真撮影もOKということでした。
↑高輪ゲートウェイ駅に到着です。
↑改札を出て、近くの階段を下ると立派な駅舎が見えました。
↑そのまま右へ進みます。
↑更に進んでいきます。
↑おゥ!屋根の部分を抜けると巨大な建物が現れました。
↑ここを右に曲がります。
↑会場が見えてきました。
↑ここの信号を渡ります。
↑背後には例の建物が見えます。
↑信号を渡り、いよいよ会場に入ります!
↑会場に入ると、手前には説明や資料が展示されていました。紙でも貰えましたが、紙の資料の転載は不可と書いてありました。
↑その資料のうちの1つ。今回公開されたのはここなんですね。
それではいよいよ奥の遺構のところへと進んでいきます。やはりそこは人がかなり多いです。
↑こちらです!築堤がそのまま残っていますね。
↑一番下の部分は当時海だったそうです。
続いて、築堤付近の当時海だったところから発掘されたものも展示してあったので紹介します。
↑いろいろなものが見つかったようです。
↑陶磁器。これは当時の人が客車から海へ投げ捨てたものだったとか。案内の方が詳しく解説してくださいました。
また、写真のカゴの上側は江戸時代に作られた器、下側が産業革命以降に作られたものだそうです。
模様の染物の原料が「御須」か「酸化コバルト」かで見分けているようです。
↑出口付近には高輪ゲートウェイ駅付近完成時の予想図も。
今日はそろそろおいとまします。
写真で見るとあっという間ですが、気づいたら入口をくぐってから20分ほどたっていました。
個人的には築堤の遺構はもちろんのこと、築堤のまわりから発掘されたという陶器や鉄の塊の展示がとても面白かったです。
この見学会を開催してくださった方々に感謝です。
さて、私は建物を見つつ、泉岳寺駅へと向かいます。
↑去るのが惜しいですが、会場を後にします。
↑さっきのゲートをくぐり、信号を渡ってのそのまま真っ直ぐです。
↑3つ建物があるうち、一番品川寄りのものと真ん中のものの間まで来ました。
↑反対側には興味深い看板が。こちらも楽しみ。
↑あっという間に泉岳寺駅前までたどり着きました。
建物が3つ望めます。
↑駅の入口。
ではまた。
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